海外駐在員の目から見た日本とイギリス


by Mikihiko_Makita
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Dubrovnik Additional Day

Nightmare in Dubrovnik, Case 1

8月22日、Dubrovnik最終日。

午前中にホテルでチェックアウトを済ませ、鞄を預けて旧市街に昼食を取りに出掛けた。
ロンドン行きのフライトは午後4時半。

「またいつか来るからね」

旧市街に別れを告げ、2時過ぎにホテルに戻り鞄をピックアップする。

ん? んんん?
2つ預けた鞄のうち、僕の服やら靴が入ったSamsoniteの鞄が見つからない。
似たようなSamsoniteはホテルの物置にあるが、それは僕のではない。

嫌な予感・・・。

「これって、先にホテルを出た人が間違えて持っていったのではないか」

ポーターはポツリと言った。 「I agree...」

・・・げ。
”本気”と書いて、マジ?

「おたくら5starsのホテルだろ!なんとかしろよ!!」
「僕たちのフライトは4時半。それまでにベストを尽くせ!!」
「タクシー会社には確認取ったか?」
「空港は?間違った人が届けてないか?」
「ていうか、もう2時50分やん、どーすんのよ」
「こうなったら、この残された鞄を開けて誰のものか確認しろ!」
「動きが遅いな、Managerを出せ!Managerを!!」

今ある僕の英語力、総動員。
にわかにホテルのReceptionが活気付いた。
ホテルのロビーで待つ、悪夢の数十分間。
このまま鞄が出てこなくても、帰りの飛行機には乗らなければならない。

結局3時までに見つからず、もし見つかったら携帯に連絡を入れるようホテルに伝言を残して空港に向かった。タクシーの車中、重苦しい雰囲気が疲れた体に堪える。

空港に着くとすぐホテルから電話が入り、Informationの窓口に届けられていると言う。
すぐに窓口に向かうと、「Mr.Makita?」-空港職員が鞄をキープしてくれていた。

e0032092_5313311.jpg愛しの samsoniteちゃん との再会♪

Dubrovnik空港が小さな規模の空港だったこと
間違えた人が、空港で預ける前に「自分の鞄ではない」と気付いてくれたこと
ホテル・空港の人たちの連携プレー


以上を神に感謝せずにはいられない瞬間だった。


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Nightmare in Dubrovnik, Case 2

無事に鞄が手元に戻り、僕たちはBritish Airwaysのチェックインカウンターに並んだ。あまり時間が無い。その後、僕たちはこの世から抹殺されるかのような悲劇的な一言をこのカウンターの姉ちゃんから宣告されることとなる。

"Your flight is overbooked."

「over-booking (オーバーブッキング)」
航空会社やホテルなどの見込み違いで発生する予約超過の状態。欧米系の会社に多い。航空会社やホテルは出来る限り空席・空室を少なくするため、あらかじめキャンセルを見込んで日常的に座席数・部屋数以上に予約を取っている。通常は当日までに超過した予約数とキャンセル数が相殺して空席・空室が少ない状態になるのだが、ごく稀にこの予想が外れ、キャンセルが発生しない場合がある。この場合、きちんと予約をした客の一部に座席・部屋が割り当てられない事態が発生する。

Dubrovnikからロンドンへの便は、1日1便。
従って、僕たちが予約したこのフライトに乗れないということは、今日中には直行便でロンドンへ戻れないことを意味する。

横にいた妻は顔面蒼白。今にも泣きそうだ。
多分、僕の顔も同じようなもんだったろう。

次の瞬間。
世界の中心、Dubrovnik空港のチェックインカウンタで、僕はこう叫んでいた。

"No more trouble, Croatia!!!"

鞄の次は飛行機・・・ なんということだ。
僕たちには いつ平和が訪れるというのか。
いや、「平和」など永遠に来ない気がした。

"あそこのBritish Airwaysの窓口で相談して"

自分の仕事領域以外の案件を丸投げしたこのチェックインカウンタの姉ちゃんの指示通り、窓口に移動して次の姉ちゃんに説明を求める。「オーバーブッキングって言われたんだけど・・・冗談でしょ?」 -この後の姉ちゃんの一言はさらに衝撃的なものであった。

"unfortunately... yes"


眉間の血管が切れる音がした。

"アンフォーチュネイトゥリィ???"

・・・こいつらは揃いも揃ってなんで謝んないんだ。
おい、お前! 謝れ!!
この可哀相な日本人一家に「すみません」と頭を下げるんだ!!!

窓口の奥の方から、Account Managerと名乗るクロアチア人の男性社員が出てきた。彼は丁重に謝罪の意を述べた後、僕たちに用意されたオプションは2つあると説明する。

Option 1
今日中にロンドンに戻れないこともない。しかしその場合は、Dubrovnik→首都ザグレブ→フランクフルト→ロンドン・ヒースローの2回のトランジットが必要。11時頃にはヒースローに着くが、僕たちは行きに車をガトウィック空港の駐車場に停めていたので、車を取りに行かなければならない。結局、今日中には自宅に到着出来ないだろう。

Option 2
1泊延泊し、明日のガトウィック行き直行便に乗る。この場合、交通費・宿泊費・食事代全てBritish Airwaysが負担する。帰りの便はビジネスクラスの席が約束された。
"掛かった費用は全て私どもに請求してくれ"


・・・ 当然、 Option 2 だろ。


e0032092_6552941.jpg僕たちに割り当てられたホテルは、最高級の五つ星でその名も「ホテル・クロアチア」。

BAのマネージャーの人、何でも請求してくれって言いましたよね。

「♪この白ワイン、ボトルでヨロシク~」





e0032092_6563051.jpgほら 食べなさい!



e0032092_71687.jpgもっと 食べなさい!!



e0032092_71317.jpg一年分 食べなさい!!!



ありがとう そして 今度こそ
See you Croatia !!!

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by mikihiko_makita | 2006-08-23 07:06

Dubrovnik Day 5

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LIBERTAS - 自由

昔、Dubrovnikは独立した一都市だった。

1272年に制定された「ドブロブニク都市法」には、「人はみな自由に暮らす権利がある」と謳われている。

事実、貿易で富を得た市政は、当時としては画期的であった公共衛生や住民福祉に力を注いだ。病める住民の治療費は全て市が負担し、労働力として往来が盛んだった奴隷制度もいち早く廃止した。

またDubrovnikは、ベネチアやフィレンツェといった他国の都市の歴史に習い、独裁政治や住民間格差が不満や暴動を生み、最後には都市が没落することも学んだ。市の統治者の任期は一人最長でも1ヶ月の交代制とし、彼らは無報酬で住民のために働いた。住民の全てが平等であることを強調し、かつ「自由」を約束することで住民同士の内乱を避け、安定した平和都市を築くことを目指したのである。

しかし、この街にとって「自由」の最大の脅威は「戦争」だった。

Dubrovnikは、昔からキリスト教国とイスラム教国がぶつかり合う危険な地域に位置していた。小さな一都市に過ぎないDubrovnikにとってのこの数百年は、隣国との戦争を避けるため涙ぐましい外交努力を続けてきた歴史でもある。

ほんの十数年前の旧ユーゴスラビア内紛でその歴史が塗り替えられ、この街が初めて攻撃を受けたことは現代人として感慨深いものがある。大きな痛手を負った街は一時期「危機遺産」にリストされたが、住民たちの復興作業により「世界遺産」に再登録されたのはつい数年前のことである。

何者もこの街から真の「自由」を奪うことは出来ない。

戦争から10年以上経った今でも、住民の手による修復工事はなおも続けられている。


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アドレア海の真珠、Dubrovnikでの僕たちの夏休みは今日が最終日。



の はずだった。



この最終日の昼下がり、自由を何よりも愛する「この街ならでは」の大騒動が僕たち家族の身に降りかかろうとは・・・。

e0032092_4551752.jpge0032092_535221.jpg次回、旅行記の最終話に続く。

(なぜプールでシャワーキャップを装着しているのか、は永遠に謎)
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by mikihiko_makita | 2006-08-22 08:49

Dubrovnik Day 4

e0032092_5274446.jpgあ~らよ っと。



娘の「驚愕顔」見たさに

今日も水の中で手を離す、悪い親です。



Dubrovnik4日目は、旧市街の約700m沖合いにあるロクルム島(Lokrum)へ。

3つの美しいビーチを持つこの島は、普段は樹木に覆われた無人島だが、夏になると旅行者が押し寄せる。旧市街の港からボートが30分毎に出ているので、チケットを購入して出発。

宿泊しているホテルの前を通過して、所要10分ほどで島の岬に到着。

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e0032092_635278.jpg森を抜けて突如出現した池でしばし泳いだ後、島内にただ一つあるレストラン(それも夏季のみ営業)で昼食を取る。

日本の「海の家」もそうだが、こういった期間限定の食堂やレストランは味がいま一つなのが常だ。しかし、ここでは予想以上に美味しいシーフードを堪能出来たのが嬉しかった。



e0032092_6391756.jpg午後はビーチへ移動。
沖の方から島に向かってきた兄さんは「イタリアから泳いで来たんだよ」(←嘘こけ)と陽気に話しかけてくる。

沖にはクラゲがいるらしいとの情報を得て、早めに岸に上がり昼寝。


e0032092_715855.jpg夕方、島から旧市街へ戻り、そのまま先日の記事でも紹介したフランシスコ会修道院を訪れる。

14~15世紀に建てられたこの修道院は、もともとは城壁外部にあったが、外敵から守るために14世紀に城壁内部の現在の場所へ移された。

建物自体は1667年の大震災後に再建されたものだが、娘が走り回っていた中庭は14世紀のままだという。


e0032092_741167.jpg院内には、欧州で3番目に古い薬局が現役で営業を続けている。当時の薬壺や手書きの処方箋等が展示されていたのが興味深かった。(写真撮影はNGだったため、壁に掛けられていた写真を複写)




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明日にはロンドンへの帰途につく。

翌日起こるいくつかの惨事の予期する術も無く、Dubrovnik最後の夜が静かに更けていく。
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by mikihiko_makita | 2006-08-21 08:13 | 旅行

Dubrovnik Day 3

e0032092_8253113.jpg青。


透き通った
混じり気のない
完璧な青。


それは、
アドレア海の 青





e0032092_54759100.jpgDubrovnik3日目は、ホテル近くのビーチでパラソルと椅子を借り、日々の雑事を忘れる。遠くに旧市街を眺めながら青い海に身を委ねるのも、また格別。

こんな感じで娘も海水浴を楽しんでいたが。


e0032092_5445934.jpg・・・親が手を離すとこんな感じ。

うーん いい顔してるねぇ
眉毛なんか、「八」の字ですよ。漫画ですか。

悪いけど、これは癖になります。
その後も、怖いもの見たさで面白がって手を離す、不届きな親2名。


昼食の後、旧市街を取り囲む城壁を登り、遊歩道から街の景色を楽しんだ。この城壁は1周が約2kmもあり、ゆっくり歩いて2時間のコース。この日、30度を超す真夏日だったため常に水分を補給しながらの散策。城壁の上からの写真を何枚かセレクト。

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メインストリートのプラツァ通りやオノフリオの噴水も、上から眺めるとまた違った趣があり楽しめた。しかし一番高い所で25mもあり、高所恐怖症の人にはあまりオススメできないかも。

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しかし
今日も焼けたね。>娘
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by mikihiko_makita | 2006-08-20 08:02 | 旅行

Dubrovnik Day 2

e0032092_7343339.jpgクロアチア、Dubrovnikの2日目は早起きの娘とともに起床。

宿泊しているホテルの部屋のほとんどがsea viewとなっていて、僕たちの部屋の小さなバルコニーからも海に反射する朝日が見える。

ブッフェ形式の朝食の後、ホテルのプライベートビーチへ。
波はそう高くない。常に「凪いでいる」感じ。水の透明度に、しばし言葉を失う。


e0032092_8392539.jpg一ヶ月ほど前から僕たち親と毎週プールに泳ぎに行っている娘は、海の大きさに最初は戸惑っていたものの予想以上に早く慣れてくれた。まだ親に掴まっていないと怖いようだが、1年前のシチリア旅行では水際でさえ近付けなかったことを考えると、大きな第一歩である。


e0032092_7455243.jpgホテルのビーチと室内プールを行き来して気持ちの良い疲労感を得た僕たちは、近くのレストランで昼食を取った後、ホテルの部屋に戻り休憩。

微かな波の音と潮の香りに包まれながらの昼寝は、そう。

夏休みの醍醐味。
(この時間、仕事をされている会社の方々、すみません)


夕方からは、昨日と同じように徒歩で旧市街へ向かう。

e0032092_8451979.jpge0032092_8453639.jpg市街を東西に分断するメインストリートの名は「プラツァ通り(Ulica od Placa)」。200mほど大理石が敷き詰められた通りの両側には銀行や旅行会社、ショップやカフェが立ち並び、夏の盛りの時期は世界各地からの観光客で賑わう。実際、アイスに夢中な娘に声を掛けて来た老夫婦は、遠路カリフォルニアからのバカンス。

この目抜き通りからは狭い路地が網の目のように伸びていて、一歩足を踏み入れると人々の生活音が耳に届くようだった。


夕食は、一足先にこの街を訪れた会社の先輩一家の推薦もあり、港の近くのレストランでタコサラダに舌鼓を打つ。昼は30度を超す暑さだが、日が暮れると湿度こそ高いが外で気持ちよく食事が出来るほど涼しくなるのが地中海性気候の特徴だ。


こうして2日目は、アドレア海のエメラルドグリーンに癒された1日だった。


e0032092_7542021.jpg最後に、プラツァ通りの西端にある「オノフリオの噴水」について少し。
1438年に造られたこの噴水では、今でも美味しい天然の湧き水が飲める。当時、貿易都市として繁栄を極めたDubrovnikは、欧州の他国に類を見ないほど公共衛生に優れた街だった。「市民の健康こそが国の富である」と謳ったこの街では、清潔な水だけでなく医療福祉にも惜しみなく財力を充てた。
この「オリフロオの噴水」の目の前には「フランシスコ会修道院」があり、院内には1391年に開業した欧州で3番目に古い薬局がある。この修道院についてのレポートはまた後日。
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by mikihiko_makita | 2006-08-19 06:37 | 旅行

Dubrovnik Day 1

今年の夏は数日間の休暇を取り、すでに夏は終わってしまったらしいロンドンを脱出してクロアチア(Croatia)のドゥブロブニク(Dubrovnik)で日光浴をしてきました。
1日目からレポートしますので、お付き合いください。

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まず「クロアチア」と聞いて思い浮かぶもの。

なんですかねぇ、クロアチアといったら。
なんじゃらほい

サッカー
やたら日本代表との対戦カードが当たる国。国土の面積は九州の約1.5倍、人口は400万人と少し。規模としては小国なのにサッカーに関してはレベルが高いイメージ。最初、この旅で目にしたクロアチア人の男性諸君がみんなサッカー選手に見えてしまったのは、僕の観察眼が狭い?

ネクタイ
世界共通のビジネススタイルとして定着したネクタイ。最近知ったのだが、このネクタイの発祥は昔のクロアチアの軍隊の服装であったらしい。17世紀のヨーロッパ各地で勃発した30年戦争で、クロアチアの戦士は故郷を去り際に女性から贈られたスカーフを首に巻いて戦地に赴いた。このスタイルはファッションにうるさいフランス国民を虜にし、洗練・優雅を表すものとしてヨーロッパ全域に広がる。これがネクタイの始まり。ネクタイはフランス語で「cravate」-意味は「クロアチア流の」。

旧ユーゴスラヴィア
隣国のスノヴェニアやボスニア・ヘルツェゴヴィナと同様に、旧ユーゴスラヴィア体制から独立を果たしたクロアチア。今でこそ観光立国として目覚ましい復興を遂げたが、ほんの十数年前の独立戦争では、僕たちの滞在したDuvrobnikなどアドレア海沿岸の美しい旧市街はユーゴ連合軍の放火にさらされた。リゾートを満喫しに訪れる僕たちのような観光客は、昔ここで起きた惨事を少しでも頭の隅で認識しておく必要がある。


クロアチアの予備知識はこの位にして、僕たちの訪れたDubrovnikは、あのジブリ作品「魔女の宅急便」の舞台のモデルとなった街で、「アドレア海の真珠」と呼ばれるクロアチアきっての観光地。15~16世紀には、ヴェネツィアと並ぶ貿易都市として栄えた歴史を持ち、城壁で囲まれ海に突き出た旧市街には今も当時の面影が色濃く残る。


1日目は、テロ未遂事件後の未だセキュリティが厳しいLondonガトウィック空港から直行便でDubrovnik空港へ。所要約2時間半。(直行便はロンドン発とローマ発のみ、他はクロアチアの首都ザグレブを経由しなければならない-ロンドン在住で少しだけラッキー♪)

e0032092_7131147.jpg飛行機に乗る前、小さな子を持つ多くの親がそうするように、空港内のショップで娘の暇つぶしアイテムを購入。

機内で遊ばせられるように、塗り絵ブックをセレクト。

疲れさせて早めに昼寝をさせる。
当面の僕たち親の目標。


e0032092_7201027.jpg離陸後、僕たちの目に飛び込んできたのは、ロンドン上空のこの厚い雲。

まだ8月中旬なのに
なんで・・・こ、こんな・・・フガフガ%#(’&%&!!


e0032092_7325234.jpgはい、すぐに着きましたね、Dubrovnik空港。日本の地方都市の空港と同じように、あまり大きな空港ではありません。タクシーでホテルに向かいチェックイン後、夕暮れ時の旧市街へ。ホテルからは徒歩で10分程度。


e0032092_7334782.jpge0032092_734416.jpg夕食は港に隣接したレストランで。
クロアチアの沿岸部は、イタリアの影響を大きく受けた魚介類のメニューが多い。早速、パスタやピザを注文して空腹を満たす。美味しい・・・そして驚くほど安い。
夕食後は旧市街を散策しながら、娘の「アイス(ジェラート)食べたい」攻撃を浴びて見事に玉砕する。


e0032092_743386.jpg1日目の結びとして興味深かったのは、街にいたるところで先述した独立戦争時の傷跡がまだ確認出来たことである。メインストリートの商店の壁に残された無数の銃弾痕に手を置いて何かを感じ得ようと努めたが、やはり困難であることを認識するにとどまった。


明日から、海で本格的に体をリフレッシュさせよう。
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by mikihiko_makita | 2006-08-18 07:43 | 旅行

watermelon

Nurseryに通い出してから、以前にも増して娘はよく歌を口ずさむようになった。

そのほとんどが僕でも知っている童謡がメインだが、「ABCの歌」を上手に音頭を取りながら歌っている姿を目にした時は、僕らの幼児期と違って彼女が生後から海外で育っていることを再認識させられる。

彼女にとっては、イギリスがホームで、日本がアウェイなのだろう。

そんなことを考えながら娘を風呂に入れていたら、彼女がこんな歌を口ずさみ出した。


♪スイカのめいさんち~♪

・・・え?

何度聞き返しても「西瓜の名産地」なのだが、ところでこれは何の曲なのだ。
どこかの県の歌?
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by mikihiko_makita | 2006-08-17 06:31

shaking hip

一体、夏は何処に行ってしまったのだろう。

昨晩の酒気が抜け切れていない憂鬱な月曜日。
カーテンを開けると、拭っても拭いきれない曇りガラスのように灰色の雲が空一面を覆っている。霧とも見分けがつかないほどの細かい雨がコンクリートを湿らせて、僕の深い溜息に追い討ちをかける。

このまま、夏が終わるというのか。
そして長くて暗い冬が、すぐそこまで来ているのだろうか。


オフィスに向かう車の中で、無理に自分の気持ちを奮い立たせるべく、ステレオのボリュームを徐々に上げていく。こういう時に決まって聞く曲はそう、彼女(*答えはこの記事の一番下)の曲だ。

ハイウェイの出口に着く頃には、さっきまでの憂鬱な気分が嘘のように心が晴れる。三十路過ぎのオヤジが女性シンガーの曲を一緒にハミングする絵はあまり人に見られたくないが、車の中というのは完全なプライベート空間である。要は、「自分さえハッピーであればそれで良い」のだ。

4~5曲目に突入すると次第に僕自身もエスカレートしていく。勿論、運転中ゆえ過激な動きは無理だが、信号待ち中に少しだけ浮かせた腰をリズムに合わせて左右に振ってみたりする。そう、幼児向け番組で言うところの「おしりフリフリ」、英語で「shake hip!」だ。

ここまで来ると単なる アホ である。
お尻は動いているのに、両手はハンドルを握ったまま、というのも笑える。


前置きが長くなった。


オフィスに着いて、先に仕事を始めていた上司(日本人)に挨拶をする。が、この上司がいきなり僕に向かって言い放った今朝の第一声はこうだ。

「月曜の朝から、お前の歌声なんて聞きたくねーよっ!!!」


目が点になった。

事態を飲み込むのに3秒と掛からなかった。
急いでポケットの携帯電話の通話記録をチェックする。





知らないうちに 上司の携帯に電話をかけていた。




ついでに


電話をかけた時間帯は まさしく


女性シンガーの1オクターブ下、野太い声で歌うノリノリな状態。

そう。 言い換えれば

「おしりフリフリ」な状態。


恥!かしい・・・。
「穴があったら入りたい」というか
どんな小さな穴でも頑張って入る自信アリますよ、コレ。


上司 「月曜から元気だな たくさん仕事してもらおうかぁ!」
僕   「ひ ひえぇぇぇ~」


皆様も携帯のキー誤操作にはくれぐれもお気をつけて。

僕の元気の素*aiko
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by mikihiko_makita | 2006-08-15 06:05

heaven's kitchen

e0032092_8112846.jpg最近娘がハマっている遊具は、年上のお友達から貰った「台所セット」。シンクやガスレンジ、オーブンが付いていたりと、かなり本格的な1台である。
仕事から帰ると有無を言わさずワイングラスを押し付けられて、わざわざお茶を注いでくれる(あくまで注ぐ真似だけど)。一揃いの皿とフォーク・スプーンを渡された後、娘が作ってくれている夕ご飯は何かと、プラスチックのフライパンの中身を盗み見ると、ピザとエビフライとお寿司とオレンジがごちゃ混ぜになっていたりする。

「はいどーぞ♪」と皿に盛り付けられても躊躇する内容だが、全部残さず食べる真似をしないと露骨に嫌な顔をされる。

娘 「おいしい?」
父 「はい おいしいです とっても」

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見よう見まねで、大人と同じことをしたがるそんな娘の姿は、仕事で疲れた体にはいささか心地よい。
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by mikihiko_makita | 2006-08-13 07:42

いたって普通です

8月10日以降、24人が逮捕された旅客機爆破テロ未遂について何か書こうとするのだが、何も思いつかない。空の玄関口ヒースロー空港はともかく、僕たち一般人は、いつもより少しだけ増加した警察車両と、緊迫した雰囲気の中で、通常通り生活している。

ジムではいつも通りプールで娘を泳がせているし
スーパーでは長蛇の列を作って会計を待つし
少し遠出してトーマス機関車には会いに行くし

いたって普段通りの生活を送っている。

↑日本では有り得ない、と思うが。


ランチ時のイギリス人の同僚の会話。

「考えてもごらんよ。ヒースローでは親御さんが赤ん坊の哺乳瓶を味見しなければならないのだよ、それを監視する係員や天井備え付けのTVカメラ。それを待つ出張中のビジネスマン。笑っちゃうだろう?」


ちー とも 笑えん。


ただ一つ言えること。
声を大にして言いたいこと。


この国の全国民は、テロに屈しません。


この国に馴染めば馴染むほど、身に染みて感じる一つの国民感情。
彼らは、彼らの生活自体を脅かされた時点で「テロに屈する」ということを良く理解している。

この人たちを精神的に打ち負かす日など永遠に来ないことを
テロリストの皆さんは良く理解して欲しい。



だから、これからイギリスに出張で来る人や留学を考えている人、彼らイギリス人からすれば昨年の地下鉄・バス爆破テロや今回の旅客機爆破未遂は単なる事件です。これが原因でせっかくのスタートラインからリタイアすることは得策ではありません。


酔った勢いで書く。
反対意見・批評、なんでも結構。
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by mikihiko_makita | 2006-08-12 07:24